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2016年のSEO…今時「SEO」だけでは死滅するビジュアル・コミュニケーション時代へ

2016/01/04カテゴリー:SEO対策コラム

お久しぶりの更新となってしまいました。
ここ最近は特にSEO対策に関する「一般サイトのウェブマスター」に向けた大きなトピックもそうなく、(スマホ対応、HTTPS、AMPくらいか)またSEOという分野においてあまり未来を感じることがなくなってしまい、気づけば筆が遠のいていました。

2016年も始まったという事で、SEOがどうなるというか、これからのWebマーケティングやWeb上でのコミュニケーションがどうなっていくのか、という事について書いてみます。

2016

SEOはもはや”前提条件”

Web上でビジネスやマーケティングを進めるにあたって、SEO、つまり検索エンジン対策は今後も非常に重要なものであることに異論はありません。
しかし、ほんの数年前とは状況は大きく異なっており、今やSEOというのは専門知識とかテクニックというより、前提知識となったのではないかと思います。

たとえば、「将来海外で映像制作の仕事をしたいです、どうすればいいですか」と相談してきた学生に対して「やっぱり英語だよ英語!英語が喋れれば万事うまく行くよ!」と返したりはしないでしょう。海外で仕事をしたいなら英語というのは前提条件だし、ある程度は使える事が必須であったり、むしろやっていくうちに自然に身につくものだからです。

それと同じで、「Webサイトの集客をうまくやりたいです、どうすればいいですか」という相談に対して「やっぱりSEO!」というのは回答として不完全だし、ある意味答えになっていません。

では、なぜSEOは今や”前提条件”と呼ばれる位にまで”降りて”きたのでしょうか。

SEOの真の姿は「テキストコンテンツ」なのか

SEOというものを構成する重要な要素として、以下の3つがあります。

  1. HTML
  2. 外部リンク
  3. テキストコンテンツ

このうち、「HTML」と「外部リンク」については、所謂”スパム”によって誤魔化しや代用が効くものであったのは皆さん御存知の通りです。
たとえばソースコード上にfont-sizeが0であったり、背景色と同色にしてみたりして、ユーザーには見えないけれどソースコード上には記述されている「隠しテキスト」「隠しリンク」を用いてみたり、自前で外部ドメインにテキストとリンクを仕込んで「人工リンク」を大量に生成したりするものでした。
しかしこれらはGoogle側の技術発達により不正行為である事が自動的に判別できるようになり、現在ではほぼ無効化されています。
またHTMLについても、よほど間違った記述さえしなければ、ソースコードがもたらすSEO上の差異というのはほとんど「気にしなくていい」レベルになってきているように体感しています。
Googleアルゴリズムが進歩し、サイトコンテンツそのものにフラットな評価を下せるようになったため、HTMLや外部リンク対策については、以前ほど専門知識や技術を要さないものになっています。これが、SEOが”前提条件”となったと考えている理由です。

残ったのはテキストコンテンツです。
本当に価値あるテキストコンテンツを作ろうと思えばスパムや不正の入り込む余地はありません。クリエイティビティや情熱がモノを言う世界です。 

しかし、食い扶持を失うつつあるSEO業者は、「テキストコンテンツを量産する事が突破口」と信じるに至りました。突破口というのは、彼ら業者自身にとってのものであるかもしれません。
結果として、リソースを持て余した一部の業者達は、『テキストコンテンツ』と称した『文字の塊』の販売を始めるのです。

1996年にビル・ゲイツが提唱した“Content is King”という言葉は、彼らのビジネスモデルを正当化するのに都合のいい言葉でした。
そして、「これからのSEO」というのはいつだって人々の関心を惹く枕詞なのです。

 

「これからのSEOは、コンテンツが重要なんです!」

 

 こうして、“コンテンツSEO”というブームが誕生しました。

コンテンツSEOとコンテンツ・マーケティング

コンテンツSEOと形容される活動には、コンテンツ・マーケティングと呼べるほどの尊大さは無いと考えています。

コンテンツ・マーケティングとは更に複雑かつ壮大で、古くはタイヤ製造販売会社のミシュランが「皆がもっと車に乗っていろんな場所に出かければ、タイヤがすり減ってウチのタイヤへの交換頻度が高まる」と考えて様々なレストランを紹介する小冊子『ミシュランガイド』を発刊したり、エナジードリンクのレッドブルがエクストリーム系のスポーツイベントに積極的に協賛し『若くてイケてる』というブランドイメージの確立に成功したように、Web上のテキストに限らず、紙、動画、イベントに至るまでありとあらゆる形態を通じてユーザーに到達する方法論の事です。
だからコンテンツマーケティングはしっかりと『マーケティング』と呼ばれているのです。

対してコンテンツSEOは「検索エンジンに評価されるためにテキストコンテンツをたくさん作ろう」というのが狙いであり、古くあった「被リンクSEO」みたいな物と大差なく、対ユーザーの対策とは呼べません。

コンテンツSEOとコンテンツマーケティングを混同してしまい、Web上に「これどうすんの?」と言いたくなるようなテキストコンテンツが大量に放流されてしまった事態は悲しいと思います。

このように多くの人達がテキストコンテンツの生成に躍起になっている一方で、彼らが全く気づきもしない新たな文化が発達していました。
これを仮に「ビジュアル・コミュニケーション文化」と呼ぶことにします。

急激に広まる”ビジュアル・コミュニケーション文化”

ビジュアル・コミュニケーション文化とは、テキストを介せずに画像でやりとりする文化・習慣の事で、80年代〜00年代に生まれた『ミレニアル世代』の間で”当たり前”になっている…と考えています。
この世代の人たちはスマホを通じたコミュニケーションが”当たり前”で、その手法は実にインスタントなものになっています。

シェアはスクショでいい

代表例とも言えるのが“スクショ文化”です。彼らは、Web上やアプリ上で誰かと共有したいものがあった場合、テキストをコピペで貼り付けたりURLを送ったりすることはせず、「今自分が見ている画面」をスクリーンショットでキャプチャを撮って、画像として送り合います。

特にこれはTwitterなどで顕著で、おもしろかった情報を共有する際に、記事などのリンクをシェアするのではなく、キャプチャをシェアするというものです。

インターンの大学生に聞いてみると、LINEなどでもこのように、おもしろかった記事のおもしろかった部分だけを、画像として送り合うのが一般的になりつつあるといいます。

リンクではなくキャプチャ – 若年世代の「シェア」で問われるメディアの生き残り戦略

上の考察では、URLではなくスクショ画像でシェアされてしまう事によって出典サイトへのアクセスが発生しなくなってしまう危険性を指摘していますが、僕はある程度これは仕方のないことだと考えています。
スクショ画像の二次利用などのモラル的な問題は別の議題とするとして、スマホの小さな画面で要約したい部分だけをコピペするのは面倒だし(なぜかいつも不要なところまで選択されて上手くいかないし…)、自分が共有したい部分”だけ”を送信するのにURLまるごとの共有では無駄な情報が多すぎるからです。

スクショであれば一瞬で撮れて、すぐに送れます。こっちの方が圧倒的に便利です。「あけおめメール」や「あけおめLINE」が流行れば年賀状業者の稼ぎが減るし、UBERが普及すればタクシードライバーの仕事が奪われるかもしれません。スクショ文化がもっとスタンダードになればメディアへのアクセスが減る…というのは、これと似ていて、『夕日が沈むのを止められないのと同じ』なのではないでしょうか。(by シミ・スカイウォーカー)

想像よりずっと発達しているインスタグラム

ビジュアル・コミュニケーション文化を構成する要素の中でも最も大きいのが、インスタグラム(Instagram)の存在です。
インスタはTwitterのMAU(月間アクティブユーザー数)をとっくに超えています。

ビジュアル・コミュニケーションを形作る”美的感覚”の変化

ちょっと余談です。
僕は1988年生まれで現在27歳ですが、中学生や高校生のころは『デコ文化』が盛んでした。篠原ともえやミニモニがガチャガチャやってるのを観て育ち、浜崎あゆみや倖田來未がゴッテゴテの衣装で歌っていた頃、同級生の女の子達はプリクラにラインストーンのスタンプを輝かせ、『チェキ』で撮った写真にはポスカであれこれ書き込み、ケータイは光るアンテナに付け替えたり、「デコケータイ」に仕上げたりして装飾を楽しんでいました。

一方で『インスタ・ネイティブ』の世代の子たちは、必要以上に自分を飾ったり演出する事をクールだと思っていません。
『インフルエンサー』とも呼ばれる、高い美的感覚を持ち多くのフォロワーを抱えるユーザーのアカウントは驚くほどシンプルで、『透明感』『誠実』とでも形容すべき絶妙なバランス感覚のもと成り立っている事がわかります。あるいは、ある種のミニマリズムとも言えるのかもしれません。

この世代には共通言語として特定のアイコンがいません。男子はみんなキムタクに憧れた、女性はみんなあゆの真似をした、という感覚は一切なく、身の回りにいる可愛い子に憧れて程よく自分のスタイルに取り入れています。彼女たちの間で過度にギラギラするのはご法度です。悪目立ちしたくないからです。
かつての『デコ文化』とは大きく異なり、この世代の美的感覚は『引き算』によって成り立っていると考えることができます。

彼女たちも『周りにどう見られているか』はすごく気にしています。それは何時の時代も変わらないと思うのですが、その『見せ方』は大きく変化しています。下記の記事を見られればわかるかと思います:

インスタのトップを綺麗に並べるコツ(わたしはこうしてます)

コミュニケーション・ツールとしてのインスタグラム

知りあったばかりの人に「電話番号教えて」と聞く事は今でもまだあるかもしれません。しかし、「メルアド教えて」と聞く習慣はLINEの登場で完全に過去のものとなりました。

ビジュアル・コミュニケーション文化が深まるにつれ、一部では「LINE教えて」が「インスタ教えて」に変わりつつあります。

インスタ世代の子たちは、初対面の相手にまず「インスタ教えて」と尋ねる事があります。この子達は、その後とくに何もなければLINEを交換する事はありません。LINEによるテキスト・コミュニケーションではなく、インスタによるビジュアル・コミュニケーションを図りたいのです。(ちなみにインスタではDM機能があるので、その気になれば連絡を取る事もできるというわけです。)

まだよく知らない相手の事は、インスタのアカウントを見ればなんとなくわかった気になれます。
こんなファッションが好きで、こんな曲を聴いて、こんな感じの友達とこんなお店に出かけてるんだなぁと、その人を取り巻く空気感のようなものがビジュアルで表現されているからです。

少し前に、企業が求人応募者の人となりを知るのにFacebookなどのSNSアカウントをチェックすることがある、というのが色んな意味で話題になりましたが、その人の趣味嗜好やセンスを知りたければインスタが一番手っ取り早いと思います。デザイン業界やファッション業界とかだと特に便利かもしれません。

インスタグラムは単なる写真共有アプリとしての役割を超え、自らの世界観をビジュアル化して見せ合うコミュニケーション・ツールとなっています。
飲食店でもアパレル店でも、器用なショップはとっくにインスタを始めていて、毎日こだわった写真を投稿してユーザーを獲得しています。ショップスタッフがインスタでコーディネートをアップすればそのアイテムが売れるし、サロンではインスタで最旬のスタイリングを見せて、コメント欄で予約を取っています。
日本でもこの1年でユーザー数は倍増し810万人に達したことからもわかるように、ビジュアル・コミュニケーション文化にとってインスタグラムは、最も重要なSNSプラットフォームなのです。

snapchatが加速させるビジュアル・コミュニケーション

snapchat(スナップチャット)と聞いてピンと来ない方でも、「送ったメッセージが数秒で消えてしまう、海外の若者に大人気のアプリ」と聞けば思い出してくれるかもしれません。DAU(デイリー・アクティブユーザー数)は1億人を突破したそうです。日本では「スナチャ」と呼ばれています。

snapchatで展開される世界観は独特で、オトナ達には理解しがたいものがあります。「こういうのが面白いんだ…」という、付いていけない感覚に襲われます。僕も正直、今のところついていけません。

snapchatは、送ったメッセージが数秒で消えるというユニークすぎるシステムや、24時間はスナップを公開状態にできる「ストーリー機能」、リアルタイムで自分の顔に面白いエフェクトをかけられるフィルター機能などフィーチャーすべきポイントはあります。これらは全て、ビジュアル・コミュニケーション文化が作り上げたものではないでしょうか。

そしてその中でも最も特筆すべきと考えるのが、DISCOVER機能です。

新しいコンテンツのカタチは、手のひらの上で動いている

DISCOVER(ディスカバー)はsnapchatのアプリ上で閲覧できるニュースのコーナーのようなもので、ここで配信されているニュースコンテンツも24時間で消えてしまいます。
ここにタイアップしているニュースメディアは、CNN,Buzzweed,MTV,IGN,People,Daily Mail,VICE, NATIONAL GEOGRAPHICなどなどビッグプレイヤーばかり。

snapchat

好きなメディアのアイコンを開くと、記事ごとのアイキャッチが登場します。
このアイキャッチは動画である事が多く、タテ画面いっぱいに展開されるこの動画は今まで観たことがなかったような新鮮さを味わえます。手のひらの上でコンテンツが躍動感と共に流れる様はハッキリと未来を感じます。まるでタイムズ・スクエアの賑やかなデジタルサイネージを自分の片手で握っているような、不思議な感覚です。

snapchat discover snapchat discover

左右にスワイプすれば、別のニュースコンテンツがすぐに現れて動き出します。アニメーションだったり、現場の映像やスタジオで撮影された映像の時もあります。音声もついています。
気になったものがあれば下から上にスワイプすると、記事が現れます。
この記事というのも、テキストの場合もあればタテ動画の場合もあります。

snapchat news snapchat news snapchat news

 

実際にsnapchatをインストールしてDISCOVERを開いてもらえればわかるかと思いますが、コンテンツの魅せ方はかなりこだわって作られています。 
そしてこれらの素晴らしいコンテンツたちは、公開から24時間経てば自分が閲覧した・していないに関わらず消え去ってしまうのがsnapchatの世界です。

ある世代にとって最も驚くべきなのは、「記事をSNSでシェアできない」という事です。

たとえば、こんな記事が気に入ったとしましょう:

snapchat

この記事を誰かと共有したいと思っても、snapchatのアプリ上からは出典のURLを取得する事ができません。また、FacebookやTwitterのシェアボタンもありません。

共有する方法は、今見ている画面にラクガキをして、スクショとしてsnapchat上のフレンドに送るか、カメラロールに保存するかです。(ちなみにsnapchat上でフレンドに送信すれば数秒で消えます。)

i-am-your-father

文字で書かれたテキストコンテンツであっても、文字として共有される事はありません。全てはビジュアルを介してやりとりされるのです。
読んだニュースが興味深ければ、ついFacebookに貼り付けて友人に読ませたくなるかもしれません。
ところがビジュアル・コミュニケーション文化の世界では、そんなのはどうでもよくて、「今見ている画面」を友達に送ることができればそれで目的は達成されるのです。だからそれでいいんです。コンテクスト?ページ・ビュー?メディアのマネタイズ?なにそれおいしいの?

Googleの役割は”図書館”

Googleが研究しているものはコンテクストの理解です。彼らは彼らのやり方でスマホ時代に迎合しようとしています。その中でも大きな研究対象が“音声認識”です。

スマホによる音声認識を使ったGoogle検索では「今日この後雨降る?」というような、より人間の会話らしい検索語句に応える事が期待されます。Googleは「今日この後雨降る?」という検索語句から、「今日、現在時刻より後、GPSから判断したエリアの降水確率を知りたいんだろう」というコンテクストを理解します。
さらに続いて「東京は?」と聞けば、そこに「降水確率」とか「天気」というキーワードが無くても、「同条件での東京のエリアの降水確率を知りたいんだろう」とコンテクストを予測します。これはユーザーにとってとても便利な機能です。(Siriもそうですが、アイアンマンに登場するJ.A.R.V.I.S.のようなパーソナルアシスタントAIが完成する日も遠くないかもしれません。)

ところがビジュアル・コミュニケーション文化が深まれば、Googleという検索エンジンの重要性は低下します。なぜならGoogleはテキストやそれを取り巻くコンテクストを正しく理解するよう進化していますが、ビジュアルを理解する事はできないからです。Googleは画像を認識できないから、Altタグを使ったり周辺にテキストを入れようね、というのは今でも有効な、“Googleフレンドリー”なSEO施策です。

Googleアルゴリズムを紐解けば推察できるように、検索結果データというのは情報のアーカイブです。
何か調べ物をしている時に、数年前の古い情報が検索上位に我が物顔で登場しているのを疑問に思った経験はありませんか。アルゴリズムというフィルターを介した情報処理では、最新の情報を正しく整理する事を苦手としています。この情報が正しいのか、価値があるのかという判断は、獲得被リンク等様々なフィルターにかけて、時間をかけた上で吟味し、アーカイブしていくからです。

Googleは、ある意味図書館に似ています。そこに行けば膨大な量の情報があります。しかしそこにある情報の多くは、数年前に綴られたもので、新刊が並ぶには時間がかかります。
今世の中で何が起きているかについては、コンビニの雑誌コーナーを見た方がよっぽど効率的だったりします。また、図書館には並ばないけれど面白い本や雑誌もたくさんあるわけです。

ビジュアル・コミュニケーション文化はGoogleのいない世界で発達しています。Googleのないところには当然SEOはありません。

コンテンツ・イズ・キングは真実です。しかし、コンテンツはテキストで出来ているとは限りません。ビジュアル…つまり画像や動画で出来たコンテンツが現在進行形で価値もリーチ力も高めています。インスタグラムを開けば、snapchat DISCOVERを開けば、その紛れも無い事実をあなたの手の上で体感する事ができます。

誤解されたくないのは、「これからはインスタグラムとsnapchatがアツい!」と主張したいわけではないという事です。
僕が主張したいのは、「Google以外の場所で、ビジュアル・コミュニケーションが発達している」という客観的事実です。インスタグラムやsnapchatはそのプラットフォームに過ぎません。(そもそもsnapchatはまだ日本国内で完全に浸透していない)

これからのSEOはどうなる

ビジュアル・コミュニケーション時代のSEOはどうなるのでしょうか。

 

どうにもならんと思います。

そこにSEOが出る幕はありません。
Googleという図書館に収容されるテキストが生成されないコミュニケーション、つまり、Googleの認知範囲外でのコミュニケーションが活発化していくのです。

 

冒頭で述べたように、SEOはそもそも前提条件と化しつつあるので、特別な施策などの重要性はもっともっと低下していくと思います。(サイト構造が複雑な大規模サイトにおいては、SEO検討が依然として重要であるのは変わらないという事を付け足しておきます。)

総じて、「これからのSEOはなんちゃら対策!」みたいなのは本質を欠いていて、「SEOなんて出来る範囲でほどほどにやっといて、ビジュアル・コミュニケーションを検討する」という考え方が良いと考えています。
Facebookでもインスタグラムでも、はたまた固定読者を抱えるブログでも何だって良いのですが、SEO以外の場所でユーザーやお客さん達と繋がれる場所を持っていないところはもう死滅していくと思います。BtoCビジネスならなおさらです。

「変化に最も適応できる生物が生き残る」とダーウィンが言っているように、テキストを介さないコミュニケーションが重要性を増している、という変化に適応できるかどうかが鍵なのではないでしょうか。

時代は2016年です。信じられないような進化が至る所で起こっています。今回は触れませんでしたが、MixChannel(ミクチャ)と言うオトナにはマジで理解できない日本のSNSも10代の間で人気になっています。

自分の理解を追いつかせるのはとりあえず後回しにしておいて、変化に適応していきましょう。
というわけで、2016年も宜しくお願い申し上げます。

検索エンジンマーケティング担当。
正攻法に特化したSEOコンサルタントとして、大小様々なサイトのSEOを指導。
フォースと共にあらんことを。

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